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私は、川村様の「九州王朝説批判」に同調するものです。
ところで、今回、上記に関する資料を拝見していて、『通典』では、下記のように、『隋書』の《 》部分が欠落しているのではないかと感じたのですが、それで良いのでしょうか。
もしそうだとしたら、『宋史』日本国伝に、「按ずるに隋の開皇二十年、倭王姓は阿毎、名は自多利思比孤、使を遣わして書を致す。……此れ其の記す所と同じ。」とあるのは、『隋書』ではなく『通典』を見ていることになるのでしょうか。
『通典』 隋文帝開皇二十年、倭王姓阿毎、名自多利思比孤、其國號阿輩鶏彌、華言天兒也、遣使詣闕。
其書曰「日出處天子致書日没處天子、無恙」云云。帝覧之不悦、謂鴻臚卿曰「蠻夷書有無禮者。勿復以開」。
『隋書』 開皇二十年、王姓阿毎、字多利思北孤、號阿輩彌、遣使詣闕。《上令所司訪其風俗、使者言「王以天爲兄、以日爲弟、天未明時出聴政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟。」》
《大業三年、其王多利思北孤遣使朝貢。使者曰「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來、學佛法。」》其國書曰「日出處天子致書日没處天子、無恙」云云。帝覧之不悦、謂鴻臚卿曰「蠻夷書有無禮者。勿復以聞。」
http://www.geocities.jp/yasuko8787/80819.htm
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