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『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳 鮮卑
【 檀石槐拒不肯受、寇鈔滋甚。乃分其地爲中東西三部。從右北平以東至遼、東接夫餘,〔[シ歳]〕貊爲東部、二十餘邑、其大人曰彌加,闕機,素利,槐頭。從右北平以西至上谷爲中部、十餘邑、其大人曰柯最,闕居,慕容等、爲大帥。從上谷以西至燉煌、西接烏孫爲西部、二十餘邑、其大人曰置[革建]落羅,日律推演,宴茘游等、皆爲大帥、而制屬檀石槐。 】
檀石槐は【 南北七千餘里 】そして、遼東から敦煌までの【 東西萬二千餘里 】を領有していますが、この東西を【 東部 中部 西部 】に分けて分割統治を図ったと記載されています。
意訳 -----------------------------------
【 從右北平以東至遼東接夫餘 〔 [ シ歳 ] 〕 貊爲東部 二十餘邑 】
右北平以東から遼東に至るまで、また夫餘そして 〔 [ シ歳 ] 〕 貊の人々に出会うまでの二十餘邑を、従わせて東部と為す 】
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【 從右北平以西至上谷爲中部 十餘邑 】
右北平以西から上谷に至る十餘邑を従わせて中部と為す
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【 從上谷以西至燉煌 西接烏孫爲西部 二十餘邑 】
上谷以西から敦煌に至るまで、また西の烏孫の人々に出会うまでの二十餘邑を従わせて西部と為す
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【 接 】は【 人々と出会う ( 接する )】と訳します。
【 從 】は【 動詞 】として用いられています。
【 從右北平以東至遼東 〓 右北平以東から遼東に至るまでは服従す 】
【 從右北平以西至上谷 〓 右北平以西から上谷に至るまでは服従す 】
【 從上谷以西至燉煌 〓 上谷以西から敦煌に至るまでは服従す 】
【 右北平以東至遼東 】
【 右北平以西至上谷 】
【 上谷以西至燉煌 】
ご覧のように【 ( 地名 ) ○○ 至 ( 地名 ) △△ 】の記述になっています。
こうした場合【 自○○〜至△△ 】となり【 至 】は区間を表す文字になり【 從 】の意味は動詞となって、この区間の人々は【 従う ( 服従す )】と訳す事になります。
では魏志倭人伝の【 從郡至倭 】は、どうでしょうか ?
【 郡 】および【 倭 】を地名と見た場合は【 自郡〜至倭 】となり【 從郡至倭 】の訳は【 郡から倭に至る人々は従う ( 服従す )】となります。
倭は魏の冊封をうけて【 屬 】にあります。
決して【 從 】ではありません。
次に【 從 】を接続詞と見た訳を行って見ます。
【 従って郡は倭に至る 】となりますが【 帯方郡 】が移動していくはずがありませんので、【 郡 】とは【 郡の人 】あるいは【 郡の使者 】と訳します。
【 従って郡使は倭に赴く ( 出向く )】と訳すのが正しいようです。
【 郡より倭に至る 】とは、とんでもないデタラメな訳を行ったものです。
【 郡より 】では無く、正しくは【 郡は 】の主語になります。
http://blogs.yahoo.co.jp/tamuo128
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